「渡る世間は鬼ばかり」にも出演されていた大女優の池内淳子さん。
晩年まで活躍されていた印象が強いですが、死因となった病気はなんだったのでしょうか。
この記事では、池内淳子さんの死因やご家族についてご紹介します。
【池内淳子】女優として活躍
舞台「三婆」では400回もの公演を行った池内淳子さん。
どのような芸能活動を行ったのでしょうか。
年表はこちら
- 1955年 映画「皇太子の花嫁」で映画デビュー
- 1962年 「日本放送作家協会女性演技者賞」を受賞
- 1998年 NHK放送文化賞
- 2002年 紫綬褒章を受章
- 2007年 間質性肺炎、胸水貯留、肺腫瘍と診断される
- 2008年 旭日小綬章を授与される
- 2010年 肺腺がんにより76歳で死去
池内淳子さんは1955年、映画「皇太子の花嫁」で映画デビュー。
1957年には結婚を機に芸能界を引退されますが、1年後には離婚し、1960年に芸能界に復帰。
その後は映画やドラマ、舞台などで活躍されました。
そして2010年9月26日に肺腺がんのため、76歳で亡くなっています。
【池内淳子】2010年に肺腺癌で死去(享年76歳)
池内淳子さんは2010年9月26日に肺腺がんのため、76歳で亡くなられています。
では肺腺がんとはどのような病気なのでしょうか。
肺腺がんは肺がんの一種で、肺がんの約70%が肺腺がんである。
www.ncc.co.jp
肺腺がんは喫煙などの環境的要因だけでなく、遺伝的要因も関係するそうです。
しかし池内淳子さんは愛煙家として知られていたため、喫煙が原因だったとも言われています。
CT検査を行うことで、早期に発見することができるそうです。
【池内淳子】病気の経緯は?
実は池内淳子さんは2007年4月に、間質性肺炎及び胸水貯留と右上葉に肺腫瘍が発覚。
そして、肺腺がんと診断されています。
これにより3ヶ月休養し、抗がん剤で治療を行ったそうです。
その結果、腫瘍はほぼ消失し、芸能活動も再開されました。
それから月2回は通院し、抗がん剤を飲み続けていたものの、2010年3月には再び肺腺がんが発覚。
2010年4月、5月の舞台「三婆」にはがんを隠して出演されました。
8月中旬には再入院して治療に専念していましたが、9月中旬に容体が悪化。
2010年9月26日に76歳で亡くなりました。
同居していた妹ら家族に見守られながらの旅立ちとなりました。
病歴のまとめはこちら
- 2007年4月 間質性肺炎及び胸水貯留、肺腺がん発覚、休養発表
- 2007年8月 芸能活動復帰
- 2010年3月 肺腺がん再発
- 2010年8月 入院治療開始
- 2010年9月 76歳で死去
【池内淳子】病気の原因は過労とストレス?
池内淳子さんは愛煙家でしたが、病気が発覚する2007年以前からタバコはやめていたようです。
たばこをやめて10年経っていたのが良かった、と医師に言われたの。肺に溜まっていた水もきれいだったから、少しずつ水を抜いて、声も出るようになったのよ。原因は過労とストレスみたい
引用:zakzak.co.jp/2010年9月
受動喫煙の可能性もありますし、タバコを吸わない女性でも肺がんにかかる方は少なくないようです。
それでもやはり、タバコさえ吸っていなければ、と残念に思うファンの方もいらっしゃるようですね。
【池内淳子】結婚歴や子供について
池内淳子さんは1957年10月12日に俳優の柳沢真一さんと結婚しました。
しかし、4か月後の1958年1月17日には離婚してしまいます。
理由として、生活の不一致や姑との関係が噂されていますが、本人から語られることはありませんでした。
あまりにも早い離婚だったことから、芸能界のスピード離婚第1号とも言われています。
その後は結婚はせず、お子さんもいらっしゃらないそうです。
まとめ
池内淳子さんがなった肺腺がんは肺がんの大多数を占めると言われています。
一度腫瘍がほぼ消失したとしても、がんは再発してしまうそうです。
抗がん剤治療を続けることは大切そうですね。
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