ドラマ「銭形平次」がはまり役として有名な大川橋蔵さん。
1984年に55歳の若さで亡くなっています。
その死因は何だったのでしょうか。
この記事では大川橋蔵さんの芸能生活と死因となった病気についてまとめました。
【大川橋蔵】銭形平次で人気
ドラマ「銭形平次」で主演を務めた二代目大川橋蔵さん。
そんな大川橋蔵さんは1935年、6歳で歌舞伎の初舞台を踏みました。
その時に一緒に舞台を務めた六代目「尾上菊五郎」さんに気に入られ養子となり、15歳で二代目大川橋蔵を襲名。
しかし六代目「尾上菊五郎」さんが亡くなり、後ろ盾を失ったコトで東映に入社。
26歳(1955年)で「笛吹若武者」で映画デビューを果たします。
そして1966年(37歳)にはドラマ「銭形平次」の主演に抜擢されます。
これが当たり役となり、55歳(1984年4月)まで18年間主演を演じ人気者になりました。
「1人の俳優が同じ主人公を演じた1時間ドラマ」として世界最大となり、ギネス記録にも認定されています。
芸能生活の年表はこちら
- 1935年 歌舞伎役者として初舞台を踏む
- 1944年 二代目大川橋蔵を襲名する
- 1955年 「笛吹若武者」で映画デビュー
- 1966年 ドラマ「銭形平次」で主演を務める
- 1983年 結腸がんで入院
- 1984年 55歳で亡くなる
「銭形平次」が終了した理由は、視聴率の低迷による打ち切りだったようです。
そして大川橋蔵さんは、番組打ち切りして8か月後に亡くなっています。
【大川橋蔵】1984年に急性肝不全で死去
大川橋蔵さんは「銭形平次」が終了した1984年12月に急性肝不全によって55歳で亡くなりました。
急性肝不全は肝臓の働きが何らかの理由により急激に低下した病状のことを言います。
引用:gastro.m.u-tokyo.ac.jp
亡くなる半年前には、スポーツ新聞で「平次親分が急性肝炎で入院」と報道されています。
肝炎となった原因は、結腸がんから移転した肝臓がんでした。
大腸がんの原因は主に飲酒・肥満と言われています。
他にも喫煙、糖尿病、加工肉も原因になりうるそうです。
大川橋蔵さんはカツ丼ばかり食べる時期があるなど、偏食としても知られていました。
この偏食も結腸がんの原因になったのではないかと言われています。
【大川橋蔵】亡くなるまでの経緯は?
1984年4月にドラマ「銭形平次」が終了後、大川橋蔵さんはテレビドラマ「蝶々さんと息子たち」に出演しました。
しかし、大川橋蔵さんは撮影中に倒れ、緊急入院。
大川橋蔵さんは亡くなる1年前から体調を崩し、入退院を繰り返していたそうです。
最後の入院(1984年11月25日)では、結腸がんが肝臓に転移していました。
病名は本人には知らされませんでしたが、大川橋蔵さんは病気をわかっていたようです。
大酒も飲まず煙草も喫まず、食事にも気を遣い、いつも腹に健康帯を巻いてきた私が、何故こんな病気になったんですか
このように医師に訴えたと言います。
そして1984年12月4日、大川橋蔵さんはある予言をします。
おれの命はあと3日だ
本当に予言した3日後の1984年12月7日、急性肝不全によって55歳で亡くなりました。
- 1983年9月:体調不良で入退院を繰り返す
- 1984年:「蝶々さんと息子たち」撮影中に倒れる
- 1984年11月25日:最後の入院
- 1984年12月7日: 急性肝不全により55歳で死去
【大川橋蔵】妻は元芸妓で子供は息子が2人
甘いマスクとして大人気だった大川橋蔵さんのご家族はどのような方だったのでしょうか。
大川橋蔵さんには奥さんと2人の息子さんがいます。
奥さんは京都の舞妓さんである沢村真理子さんで、1966年37歳の時に結婚しました。
沢村真理子さんは大川橋蔵さんの葬儀の時に、このような言葉を残しています。
主人の楽しみは女房をきれいにして連れて歩くことだ、と常にいってくれました。
ほんとうに幸せでした。日本一の主人でした。
【大川橋蔵】子供は2人
大川橋蔵さんは妻との間に2人の子供を授かりました。
- 長男:丹羽朋廣
- 次男:丹羽貞仁
【大川橋蔵】長男はTVプロデユーサー
長男は丹羽朋廣さんで、フジテレビのプロデューサーをしています。
13歳までは「大川辰五郎」という芸名で子役をしていました。
【大川橋蔵】次男は俳優
次男は俳優の丹羽貞仁さんで、時代劇や舞台で活躍されています。
1991年から放送されたドラマ「銭形平次」にも準レギュラーとして出演されていました。
まとめ
ギネスにのるくらい素晴らしい俳優である大川橋蔵さん。
たばこも飲酒もしないでがんになる方は珍しいそうです。
日頃の食生活にも気を付けることが健康への近道だと言えそうですね。
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