かつてジャニーズ事務所に所属していた「フォーリーブス」のリーダーだった北公次さん。
そんな北公次さんは2012年、63歳のときに亡くなられています。
北公次さんの死因について、くわしく調査しました。
【北公次】フォーリーブスで活躍
北公次さんは1949年に和歌山県で生まれ、中学卒業と同時に「フォーリーブス」結成のため上京されます。
フォーリーブスは1968年にジャニーズ事務所からデビューしたグループで、清純派アイドルとして一躍人気に。
紅白歌合戦に7年連続で出場するなど活躍されていましたが、1978年にフォーリーブスは解散となってしまいます。
グループ解散後、北公次さんは●せい剤の使用で逮捕されたこともあり、芸能界の仕事がほとんどありませんでした。
そんな中、1988年にジャニーズ事務所の暴露本「光GENJIへ」を出版しベストセラーとなります。
ですが、その後も経済的に苦しい状態は続いたようです。
【北公次】2012年に肝臓がんで死去
2002年にフォーリーブスは再結成されますが、メンバーの青山孝史さんの死後2009年から活動の場が激減。
北公次さんは細々と個人で活動を続けていましたが、2011年に肝臓がんであることが判明。
2012年2月初め頃に、北公次さんの夫人が治療の資金を募るため肝臓がんを公表されます。
ところが、その2週間後の2012年2月22日、享年63歳で肝臓がんのため亡くなられました。
【北公次】病気の経緯はこちら
北公次さんの病気の経緯はこちらです。
- 1975年:クスリ(●せい剤)を使用
- 1978年:フォーリーブス解散
- 1979年:重度の肝臓疾患
- 2011年5月:肝臓がん発覚
- 2012年2月:死去
北公次さんは、1975年から1979年にかけてクスリ(●せい剤)を使用されていたそう。
フォーリーブス解散後の1979年に逮捕される前には、深刻な薬物中毒におちいってしまっていたのだとか。
さらに、薬物が身体に負担となったのか重度の肝臓疾患を起こされています。
実は、逮捕直後に肝臓に重度の疾患が発覚して病院に担ぎ込まれたことがありました。この時抱えた病が後々まで北さんを苦しめました。
肝臓の機能が低下したことにより2011年5月に肝臓がんを発症し、2012年2月にはそのまま帰らぬ人に。
【北公次】最期の様子は?
北公次さんは亡くなる前日の2012年2月21日午前中、容体が急変したため遺言をブログに載せられています。
北公次さんの遺言全文はこちら
ファンの皆様お世話になった皆様へ
本当に本当にありがとうございました。
北公次としての人生を全う出来た僕は本当に幸せでした。大好きなステージを沢山させていただきました。
きっと僕からのこのメッセージを読んでいただける頃はもう僕は居ませんがみんな悲しまないでね。
僕は空からみんなを見守るよ!ありがとうを言うのもこれで最後です。今まで応援ありがとうございました。
そして最後にどうしても言わせていただけるならジャニーさんメリーさんありがとうございました。
感謝しています。
2012年2月21日北公次
引用:www.nikkansports.com
死を予期しているような文面から、北公次さんは瀕死の状態の中で遺言を作成されたのでしょう。
暴露本ではジャニーさんを批判する内容があったようですが、遺言では感謝の言葉を述べられています。
ずっと懺悔したい気持ちがあったのかもしれませんね。
様態が急変した2月21日にはフォーリーブスの元メンバーである江木俊夫さんとおりも政夫さんが病室で対面。
最期は北公次さんの夫人と中学生の娘に看取られながら息を引き取りました。
まとめ
北公次さんは肝臓がんのため亡くなられています。
輝かしいアイドル時代から薬物依存に暴露本の出版まで、紆余曲折のある人生を送られた北公次さん。
北公次さんの死後もそのすざまじい生き様は人々の記憶に残りつづけることでしょう。
最後になりましたが、北公次さんのご冥福をお祈りします。
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