1970年代を代表するアイドルグループ「フォーリーブス」のメンバーの1人だった青山孝史さん。
青山孝史さんは、2008年までフォーリーブスのコンサートに出演されていました。
しかし、青山孝史さんは2009年1月に亡くなられています。
青山孝史さんの死因について、くわしく調査しました。
【青山孝史】2009年に57歳で肝臓がんで死去
青山孝史さんはフォーリーブス全国ツアーの打ち合わせ時に体調が優れず、翌日に病院で検査を受けることに。
そして検査の結果、肝臓がんが発覚。
しかしメンバーがその事を知ったのは、青山孝史さんが亡くなる2か月前でした。
メンバーの江木俊夫さんのコメントがコチラ。
顔色が悪く、肝臓の病気は顔に出ますから、僕は肝硬変くらいかと思っていた。まさか肝臓がんまでとは思っていなかった…。
青山孝史さんは肝臓がん発覚後も、コンサートの度に病院を抜け出しステージに立ち続けました。
しかし、病気は改善することなく2009年1月28日、肝臓がんのため亡くなられました。
享年57歳でした。
【青山孝史】病気の経緯はこちら
青山孝史さんの病気の経緯はこちらです。
- 2008年9月:検査で余命3ヶ月の告知(めぐみ夫人のみ知る)
- 2008年10月中頃:肝臓がん発覚
- 2009年1月16日:肝臓がんを公式発表
- 2009年1月19日:娘の誕生日祝いで一時帰宅
- 2009年1月28日:肝臓がんのため死去
青山孝史さんはガン発覚後もステージに出ていましたが、腹水が12キロたまるなど体調は悪化する一方でした。
肝臓がんを公式発表するまでは「体調を壊したので」と説明し、ソロパートに限って出演していたそう。
周りは治療に専念してほしいと出演をとめたといいますが、青山孝史さんの強い希望でステージに立ち続けました。
2009年1月半ばに娘の憂子さんの誕生日祝いで一時帰宅されていましたが、その数日後に肝臓がんで帰らぬ人に。
【青山孝史】最期の様子は?
青山孝史さんはフォーリーブスや幼い娘への思いから、闘病生活を懸命に続けていました。
しかし、最期の日である2009年1月28日の午前2時頃には容体が急変し、午前4時頃には吐血もされていたそう。
療養先の病院でめぐみ夫人と娘の憂子さんに見守られながら、2009年1月28日の午前7時に息を引き取りました。
悲報を聞いて駆けつけたメンバーの北公次さんと江木俊夫さんは、遺体に触れ涙ながらに別れを惜しんだそう。
【青山孝史】葬儀の様子はこちら
青山孝史さんの葬式は2009年2月4日に行われ、弔辞は江木俊夫さんが読まれました。
棺には、家族からのお手紙の他、さまざまな物が納められたそうです。
- お手紙
- 作曲用の楽譜と鉛筆
- フォーリーブスの歌詞やジャケットのコピー紙
- お守り
- 好物のうな丼
青山孝史さんの生前の希望により、好きだったお酒やタバコを納めることはしなかったのだとか。
肝臓がんの原因はウィルスの他、アルコールや煙草などがあると言われており、もしかしたらお酒やタバコが病気の原因だと考えていたのかもしれませんね。
【青山孝史】お墓の場所は?
青山孝史さんのお墓は、東京都八王子市の東京霊園にあります。
お墓には「城下家之墓」とあり、青山孝史さんの本名「城下孝行」の姓が印されました。
戒名は「健唱院与楽青山孝俊居士(けんしょういんよらくせいざんこうしゅんこじ)」です。
【青山孝史】妻と子供は?
青山孝史さんは、2度の結婚をされています。
- 嶋田じゅん(1977~1996)
- めぐみ(1997~)
【青山孝史】最初の結婚相手は嶋田じゅんで子供は2人
1度目は1977年にモデルでタレントの嶋田じゅんさんと結婚され、一男一女をもうけますが1996年に離婚。
長男はロック歌手の城下カズさんです。
【青山孝史】再婚相手は一般人で子供は1人
2度目は1997年に一般女性の”めぐみ”さんと結婚。
子供は娘が1人いて名前は憂子さんです。
娘の憂子さんは青山孝史さんが亡くなった当時、11歳でした。
憂子さんは「父の遺志をつぎたい」と11歳の時にフォーリーブスのステージにバックダンサーとして立たれています。
まとめ
フォーリーブスのメンバーだった青山孝史さんは、肝臓がんのため亡くなられました。
高い歌唱力でフォーリーブスのリーダー的存在だった青山孝史さん。
遺された歌声は青山孝史さんの死後も人々を魅了していくことでしょう。
最後になりましたが、青山孝史さんのご冥福をお祈りします。
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